夢の道具への思い、今と昔のちがい? 「ドラえもん」

私が小学生の頃、小学雑誌に連載されていた「ドラえもん」が大好きになり、繰り返し読んでは「いいなあ、こんな道具があったら、便利だなあ」とか「自分だったらこの道具を使ってこうしたいなあ」などと想像してはワクワクしていました。

 

それから40年近く経った今、我が子達も毎週放映されるアニメや映画ドラえもんを楽しみに見ています。世代を超えて人気があるってスゴイなあと感心する一方で、そこから情報を受け取り内容を理解する回路がどうも昔の私とは違うなあと感じています。


今はアニメの内容はもちろん、それを受けたり使ったりするアイテムも多様化していて、例えば漫画本は読みませんが、録画は当たり前で何度も見られるし、ゲームも色々出ていたり、教材も整っています。

子ども達もその中で成長しているからなのか、見て発する感想の言葉がすでに当時の私みたいに単純じゃないのです。

よく言えば洞察力や想像力が豊かともいえるかも知れないのですが、それはもっと別な場面で発揮してほしいなあ、このお話でこだわりたいのはそこじゃないんだけどなあ、などと思うこともしばしば。

ドラえもんを見るときはもっとサラッと単純な心で見て感じて欲しいなあと思うのは、昭和な私のわがままなのでしょうか。

同じ雑誌やコミック本を何度も何度も読み返し、空想にふけっていた自分とはあまりにかけ離れていて、うらやましくもあり、恵まれすぎる環境の中でどう成長していくのか一抹の不安を感じる今日この頃なのです。