本日、「まんが道」届きました。

近くの図書館で1巻だけ読んだまんが道なんですが、続きが気になって気になって仕方がなかったのでネットで探して即時注文してました。

それが今日、届いたので早速読み始めました。

藤子不二雄さんの子供のころからのお話しで、ときわ荘で活躍し始めるころのお話です。

一昔前のお話で純粋に漫画が好きでそれをきっかけに二人で漫画を描き始めたんだすが、とても面白く読めました。

自分も小さいころから絵を描いていたら、うまくなって今頃マンガ家になっているかなぁって考える今日この頃です。

考えれば考えるほど絵の勉強をしたくなります。

まぁすぐになんでも影響を受ける性格なんですが。そんなことを考えながら読んでいたらあっという間に夜中です。

絵の勉強よりも明日の用事のことを考えなくては。

絵がうまい人がうらやましい

娘が小学校に入学してから友達の影響か絵を描くようになりました。

本人も絵を描くのが好きなようで最近では4コマ漫画まで描くようになりました。

そういえば自分も子供のころに4コマ漫画を描いていた記憶があります。

っても、あまりの下手さにすぐやめちゃったんですが、あの時から今日まで毎日すこしでも漫画というか絵を描いていればかなりうまくなったんろうと後悔の毎日です。

今からでもだいぶ上達するとは思うけどなかなか進みません。

やはりあのころからって考えちゃいますね。

 漫画かでなくてもトリックアートみたいな絵も描きたかったりします。

今からでも勉強しようかなぁと。って時間的にも無理かな。

子供が絵を描くことを嫌いにならないようにしてうまくなってもらうのが一番いい方法かなと思います。

絵がうまい人がうらやましい今日この頃です。

ずっとそばにある私の育児バイブル 「ママはぽよぼよザウルスがお好き」

結婚して長男が生まれた頃、知らない土地で毎日をほとんど子供と二人で過ごす日々が続いていた私に、「おもしろそうだし、参考になるかも」と言って主人がプレゼントしてくれた「ママはぽよぽよザウルスがお好き」。


一男一女のお母さんが綴るエッセー漫画で、当時の私にはその一つ一つのストーリーが新鮮で且つツボにはまり、あまり堅苦しく育児を考えなくても大丈夫なんだと思え、肩の力が抜けたものでした。

 

それからは子ども達が喧嘩したり、怪我をしたり、風邪をひいたり、友達の事で悩んだり、勉強しなかったり、成長とともに関わる出来事の度に、ママぽよをバイブルにして随分とお世話になったものです。

 

その後我が家も同じく長男の次に長女が生まれ、主人にも「ママぽよと同じになったね」と言われたりして、私もなんとなく満足したり・・・。


時は流れて、子ども達が今、喜んでその漫画を読んで、ゲラゲラ笑っています。

そんな姿を見ていると赤ちゃん、幼児時代の不安の中で早く大きくならないかな、と将来を想像していた自分を思い出します。

そして描かれている日常に勝手に親近感を覚え、これからもなんとなく子育ての先輩を見ているような心持ちで思い出したり、また読み返したりしてずっとそばにいてくれると思えて心の支えになっています。


すでに成長したお子さん達の様子も描かれた続編も出ているので、当時ママぽよを選んでくれた主人に感謝しつつ更なるプレゼントも期待しているところです。

断捨利を決意して漫画を処分したはずなのに。

携帯電話をスマホにしたことをきっかけに、部屋で大きなスペースを占めていたコミックスを処分して、漫画はスマホで読むと決めていたのですが、スマホで読んでいると内容が良いところで充電が必要になったり、ラインに邪魔されたりするので、結局お気に入りのコミックスを買いなおす羽目になってしまいました。
最初から処分しなければ良かったと後悔しながらも、今手元にある漫画たちが、買い直すほど私にとって大切な漫画なんだなと再確認もできました。
スマホはお風呂にもトイレにも持っていくほど手放せないものだけど、そのスマホに邪魔されたくないほど、私は漫画が大好きです。
携帯を持つ前から紙の漫画を読んでいるからなのか、私にはやっぱり、紙でできた印刷物があっているようです。

子どもの成長と母の複雑な気持ち「毎日かあさん」

毎日かあさん」という漫画の中のワンシーンがとても心に残っています。

 

お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹の家族4人で外食をして家に帰る途中、絵描きさんがいて4人の絵を描いてもらうのですが、出来上がったその絵を見てお兄ちゃんが言うのです。

 

「あれぇお母さん、なんか悲しそうな顔してる」と。

 

お母さんは「そんなことないよ」というのですが、実は本当にちょっと淋しかったのかも、というお話。

 

今の私がちょうどそんなうれしいような悲しいような、という複雑な親心というものに直面しています。


長男長女、今もかわいい子ども達なのだけど、ふと思い出すのはほんの少し昔の彼ら。

全身でお母さん大好きを表してくれていたあの頃。

 

そんなに遠い昔ではないのだけど、今はだんだんそういう無邪気なだけの子ども時代から思春期という名のお兄さん、お姉さん世代に変わっていく途中のようです。

すくすく成長してうれしくて有難いはずなのだけど、ふっとあの頃を思い出すと、手がかからなくなっていく安堵と同時に淋しい切なさが押し寄せてきます。


その時「毎日かあさん」のあの表情が思い出され、そしてその気持ちがとてもよくわかってしまうのです。

きっと自分もそうして大人になったはずで、子育てしていればみんなが通る道なんだよね、分かってはいるのだけれどね、と。


それまでは子離れ親離れって自然にできるものだと思っていました。

けれど少なくとも私は自然に任せていたらどうやら無理そうです。

 

なので最近は、そう遠くない未来に向けて少しずつ心の準備をしておかなくてはいけないな、と覚悟して自分に言い聞かせている毎日です。

夢の道具への思い、今と昔のちがい? 「ドラえもん」

私が小学生の頃、小学雑誌に連載されていた「ドラえもん」が大好きになり、繰り返し読んでは「いいなあ、こんな道具があったら、便利だなあ」とか「自分だったらこの道具を使ってこうしたいなあ」などと想像してはワクワクしていました。

 

それから40年近く経った今、我が子達も毎週放映されるアニメや映画ドラえもんを楽しみに見ています。世代を超えて人気があるってスゴイなあと感心する一方で、そこから情報を受け取り内容を理解する回路がどうも昔の私とは違うなあと感じています。


今はアニメの内容はもちろん、それを受けたり使ったりするアイテムも多様化していて、例えば漫画本は読みませんが、録画は当たり前で何度も見られるし、ゲームも色々出ていたり、教材も整っています。

子ども達もその中で成長しているからなのか、見て発する感想の言葉がすでに当時の私みたいに単純じゃないのです。

よく言えば洞察力や想像力が豊かともいえるかも知れないのですが、それはもっと別な場面で発揮してほしいなあ、このお話でこだわりたいのはそこじゃないんだけどなあ、などと思うこともしばしば。

ドラえもんを見るときはもっとサラッと単純な心で見て感じて欲しいなあと思うのは、昭和な私のわがままなのでしょうか。

同じ雑誌やコミック本を何度も何度も読み返し、空想にふけっていた自分とはあまりにかけ離れていて、うらやましくもあり、恵まれすぎる環境の中でどう成長していくのか一抹の不安を感じる今日この頃なのです。

親から子へ受け継がれる魅力「ドラえもん」

私の子どもは「ドラえもん」が大好きで、よくテレビを見たり、漫画を読んだりしています。

ドラえもんで学べる宇宙や体育・お金の本なども自宅にあり、教育に役立っています。

自分が子どもの頃に好きだった漫画を自分の子どもも好きになるというのは、感慨深いものがあります。

当たり前のようで当たり前でない、むしろこれはちょっとした奇跡とも言えるのではないか、と感じています。

 

去年は川崎市の藤子F不二雄ミュージアムにも行きました。

 

両親も誘って3世代の旅行でした。おじいちゃん、おばあちゃんも知っているドラえもん

こんな風に長い時間を経ても家族で楽しめる漫画の力はやはりすごいのだと思います。

素敵な思い出が増え、ドラえもんという漫画が今もなおあることに感謝しています。