断捨利を決意して漫画を処分したはずなのに。

携帯電話をスマホにしたことをきっかけに、部屋で大きなスペースを占めていたコミックスを処分して、漫画はスマホで読むと決めていたのですが、スマホで読んでいると内容が良いところで充電が必要になったり、ラインに邪魔されたりするので、結局お気に入りのコミックスを買いなおす羽目になってしまいました。
最初から処分しなければ良かったと後悔しながらも、今手元にある漫画たちが、買い直すほど私にとって大切な漫画なんだなと再確認もできました。
スマホはお風呂にもトイレにも持っていくほど手放せないものだけど、そのスマホに邪魔されたくないほど、私は漫画が大好きです。
携帯を持つ前から紙の漫画を読んでいるからなのか、私にはやっぱり、紙でできた印刷物があっているようです。

子どもの成長と母の複雑な気持ち「毎日かあさん」

毎日かあさん」という漫画の中のワンシーンがとても心に残っています。

 

お父さん、お母さん、お兄ちゃん、妹の家族4人で外食をして家に帰る途中、絵描きさんがいて4人の絵を描いてもらうのですが、出来上がったその絵を見てお兄ちゃんが言うのです。

 

「あれぇお母さん、なんか悲しそうな顔してる」と。

 

お母さんは「そんなことないよ」というのですが、実は本当にちょっと淋しかったのかも、というお話。

 

今の私がちょうどそんなうれしいような悲しいような、という複雑な親心というものに直面しています。


長男長女、今もかわいい子ども達なのだけど、ふと思い出すのはほんの少し昔の彼ら。

全身でお母さん大好きを表してくれていたあの頃。

 

そんなに遠い昔ではないのだけど、今はだんだんそういう無邪気なだけの子ども時代から思春期という名のお兄さん、お姉さん世代に変わっていく途中のようです。

すくすく成長してうれしくて有難いはずなのだけど、ふっとあの頃を思い出すと、手がかからなくなっていく安堵と同時に淋しい切なさが押し寄せてきます。


その時「毎日かあさん」のあの表情が思い出され、そしてその気持ちがとてもよくわかってしまうのです。

きっと自分もそうして大人になったはずで、子育てしていればみんなが通る道なんだよね、分かってはいるのだけれどね、と。


それまでは子離れ親離れって自然にできるものだと思っていました。

けれど少なくとも私は自然に任せていたらどうやら無理そうです。

 

なので最近は、そう遠くない未来に向けて少しずつ心の準備をしておかなくてはいけないな、と覚悟して自分に言い聞かせている毎日です。

夢の道具への思い、今と昔のちがい? 「ドラえもん」

私が小学生の頃、小学雑誌に連載されていた「ドラえもん」が大好きになり、繰り返し読んでは「いいなあ、こんな道具があったら、便利だなあ」とか「自分だったらこの道具を使ってこうしたいなあ」などと想像してはワクワクしていました。

 

それから40年近く経った今、我が子達も毎週放映されるアニメや映画ドラえもんを楽しみに見ています。世代を超えて人気があるってスゴイなあと感心する一方で、そこから情報を受け取り内容を理解する回路がどうも昔の私とは違うなあと感じています。


今はアニメの内容はもちろん、それを受けたり使ったりするアイテムも多様化していて、例えば漫画本は読みませんが、録画は当たり前で何度も見られるし、ゲームも色々出ていたり、教材も整っています。

子ども達もその中で成長しているからなのか、見て発する感想の言葉がすでに当時の私みたいに単純じゃないのです。

よく言えば洞察力や想像力が豊かともいえるかも知れないのですが、それはもっと別な場面で発揮してほしいなあ、このお話でこだわりたいのはそこじゃないんだけどなあ、などと思うこともしばしば。

ドラえもんを見るときはもっとサラッと単純な心で見て感じて欲しいなあと思うのは、昭和な私のわがままなのでしょうか。

同じ雑誌やコミック本を何度も何度も読み返し、空想にふけっていた自分とはあまりにかけ離れていて、うらやましくもあり、恵まれすぎる環境の中でどう成長していくのか一抹の不安を感じる今日この頃なのです。

親から子へ受け継がれる魅力「ドラえもん」

私の子どもは「ドラえもん」が大好きで、よくテレビを見たり、漫画を読んだりしています。

ドラえもんで学べる宇宙や体育・お金の本なども自宅にあり、教育に役立っています。

自分が子どもの頃に好きだった漫画を自分の子どもも好きになるというのは、感慨深いものがあります。

当たり前のようで当たり前でない、むしろこれはちょっとした奇跡とも言えるのではないか、と感じています。

 

去年は川崎市の藤子F不二雄ミュージアムにも行きました。

 

両親も誘って3世代の旅行でした。おじいちゃん、おばあちゃんも知っているドラえもん

こんな風に長い時間を経ても家族で楽しめる漫画の力はやはりすごいのだと思います。

素敵な思い出が増え、ドラえもんという漫画が今もなおあることに感謝しています。

「ちびまる子ちゃん」が可愛すぎ

私は「ちびまる子ちゃん」が大好きです。

 

毎週日曜日夕方6時からは、もちろん、ちびまる子ちゃんを見ています。

 

まだまだ子供なのに、考える事が姑息で面白いです。

 

しかも大人と違って、姑息な事を姑息だと思っていない時もあらります。

 

もちろん、分かっている時もあります。そこがまた「子供のくせに」と思ったら可愛らしいのです。

 

ちょっと怠け者なところもありますが、自分が有利になる事だと分かったら、すぐに行動する!みたいな、ずる賢っこさも、まるちゃんだと、許せてしまいますねぇ。

 

そんな、まるちゃんでも、やっぱり子供らしいところはあります。

 

色んな表情や、感情を持ち合わせた、まるちゃんが、私は大好きです。

囲碁に対する関心が深まります「ヒカルの碁」

ちょっと前まで「ヒカルの碁」にハマっていました。

これって当時すごくブームになって囲碁をやる子供が増えたんですよね。
今まで囲碁というものをやったことがなかったのですが、こんなにも面白そうなものなのかと思い、まさしく目から鱗でした。
ヒカルがsaiと話せるようになって、だんだんと囲碁に対する知識を深めていくところが興味深いです。
私は、ヒカルたちが強くなって世界戦に臨んでいく場面よりも、むしろ学校の囲碁部でやっていたころのほうが好きですね。
なんだか和気あいあいとしていて可愛らしくて好感が持てます。
この漫画の中における、自分的な推しメンは進藤ヒカルではなくて、和谷義高でした。
和谷もプロ試験に合格したりしてすごかったんだよなあ、などと今更ながらに感じています。
囲碁にぜんぜん興味が無い人でも、安心して読める良作だと思います。

学園ラブコメといえばやっぱり高橋留美子

現在連載中の境界のRINNEを読んで、やっぱりドタバタラブコメディといえば高橋留美子先生だなぁと再認識しました。
アニメ化はしたもののらんまや犬夜叉ほど大ヒットしている感もなく、私も最初の1,2巻は買って読んだものの内容があっさりしていて落ち着いてしまったような印象がありました。

しかし、最近アニメを見ていて忘れていた内容を読み返してみるとその面白さにすっかりハマってしまったのです。
まずキャラがいいですね。

主人公のりんねが貧乏でお金にこだわりすぎるところが笑えます。

ヒロインや恋のライバルとの多角関係はラブコメの王道だし、ゲス親父や死神のおばあちゃんなどあの世を舞台にした話も学園ものだけに収まらないところが面白いですね。りんねの母の存在や恋のゆくえがこれからどうなっていくのか、続きが楽しみです。